イベント新刊サンプル

死霊秘法と闇に消えた二人


「あっ、ねぇシンシア、あれがこの前に話したこの”噂の王子様”。この地方一の貿易会社の子息でもある、ロバート・フィールドよ」
ベティの指差す方へ目をやると、そこにいたのはすらりとした長身の青年だった。ゆるやかにカーブしたブロンドに、潤んだ大きな青灰色の瞳を持っている。透けるように白い肌や薄く色づいた唇は、見るものに中性的な印象を与えた。
「ふーん、たしかに素敵な人ね」
心の底から興味が持てないという口調で、シンシアは言った。貧しい故郷から無理をしてこの町へ来て大学で学ぶことを決めたのは、一つには立身出世のため。将来はボストンで弁護士として生計を立てたいと思っている。だが、もう一つ大きな目的があった。
――それは、父の死の秘密を探ること。
 治安判事だったシンシアの父は、ダンウィッチで起こる怪異について、独自に調べようとしていた。そして、『死霊秘法(ネクロノミコン)』だとか、『妖姐の秘密』だとか、耳慣れない怪しげな書物を閲覧するため、ミスカトニック大学の図書館を訪問しようとしていた矢先に、忽然と姿を消したのだ。
父の失踪の秘密は、それらの書物に違いない――そう確信したシンシアは、高校での猛勉強の末、ミスカトニック大学への入学を果たした。
だから、遊んでいる暇など無い。
大学の授業ではレポートが多く、課題をこなすだけでも精一杯だ。今日も午後の授業を終えたらまっすぐ寮に戻り、レポートに取り掛からなければならない。
学内で”噂の王子様”と呼ばれる彼のことなど、まったく気にしていなかった。
だが、青年が振り向きシンシアと目を合わせた瞬間、世界が変わった。
シンシアが初めての恋に落ちた瞬間だった。


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